森村商事株式会社

歴史コラム:ゆかりの地①森村橋

ゆかりの地①森村橋

「森村橋」

静岡県北東部に位置する駿東郡小山町に、「森村橋」という橋があるのをご存知だろうか。
森村グループ創始者、6代目森村市左衛門の功労を後世に伝えようという意思のもとにその名がつけられた橋である。
6代目市左衛門は、その全生涯をかけて日本の陶磁器業を世界に冠たるものとした。更に同氏はそのかたわら諸種の事業を起こし、あるいは援助し成功させている。

その一片として、富士紡績株式会社(現・富士紡ホールディングス)の設立・隆盛が挙げられる。
明治維新以降、いかにして富国強兵を図るかが日本の常なる課題であった。日本が欧米列強と立ち並ぶためにはまず工業の隆盛をめざさなければならない。
石炭を燃やす火力発電よりも、コストの安い動力である水力発電を利用することがその活路であると当時の先覚者たちは着眼していた。
「水力発電で紡績・製紙産業を盛り立てよう」という考えのもとに作られたのが匿名組合「水力組」だ。市左衛門は水力組の主要な出資者でもあった。
その水力組の計画により設立されたのが富士紡績株式会社である。工場は水源豊かな小山町に建設され、一大工業会社として意気揚々と創業を迎えた同社であったが、まもなく倒産の危機に陥る。

創立の発起人、株主の一人でもあった市左衛門氏は「万が一にも富士紡績がこのまま倒産するようなことがあれば、森村を信じ、森村に勧められて投資した多数の株主に申し訳ない」として、社運の建て直しのために奔走した。
市左衛門氏はその極めて困難な事業と立ち向かうにあたり、「実業界における起死回生の名医」と謳われていた日比谷平左衛門という実業家に尽力を要請した。

当初その要請を固辞していた日比谷翁であったが、市左衛門氏は熱心に説得にあたった。
いかにして経済的・産業的に日本を強力にするか。日比谷翁は市左衛門氏の旺盛な国家精神の気高さに深く心を打たれ、瀕死の富士紡のために一肌脱ぐことを決意したのである。

しかし日比谷翁は既に東京紡績というもうひとつの紡績会社を抱えていたため、小山に常駐して再建・改革の実務にあたることのできる人間を探した。そこで選ばれたのが鐘淵紡績(現カネボウ)東京工場の支配人であった和田豊治氏である。
和田氏の入社の翌年には赤字がなくなり、7年目には配当を出すまでになった。
明治36年に小名木川綿布を買収、さらに創業10周年となる明治39年には日比谷翁の健康上の理由で東京紡績と合併して、当初の規模の2倍の大会社となった。
その前年の株主総会で「株主森村市左衛門に謝意する件」が議決された。会社側から銅像の建立や記念碑の建設、記念品の贈呈等が提議されたが、市左衛門氏はこれらを全て辞退した。

困惑した会社側の最後の案が、「森村橋」の建設であった。
創業10周年にあたり、工場の門前に架かる木造の橋を、老朽化のため鉄の橋に架け替えることになっていた。その橋の名前を森村橋とし、市左衛門氏の功労を永く伝えたい、という要請を受けた市左衛門氏はこれを拒否することが出来ず、承諾した。
全長39.2m、幅員4.8m。邦人が設計・作成した鋼製トラス橋としては我が国初期の遺構、中部地方では最古のものといわれている。
平成6年の土木学会編集の「鉄の橋百選」に選ばれた。また平成17年(2005)6月には国の「登録有形文化財」に登録され、小山町が管理している。
 現在小山町には富士紡績の大工場の姿はなく、他企業の社屋や工場・民家等が立ち並ぶ穏やかな町並みが広がっている。近くを通る機会があればぜひ立ち寄られることをお勧めしたい。通行禁止になってしまっているが、森村橋は102年前と変わらずそこにある。

左:竣工当初の森村橋(資料提供/小山町)
右:現在の森村橋。左に架かっているのは通行用としての「新森村橋」。

豊門会館

富士紡績は会社重役一同の寄附により、大正13年に従業員と地域住民の福利厚生を目的に財団法人豊門会館を設立した。
「豊門」という名称は和田豊治の「豊」と、富士紡の三門と称せられた森村市左衛門、日比谷平左衛門、浜口吉右衛門の三翁の「門」をとって名付けられたものである。
関連施設は現在も豊門公園内にあり、森村橋と共に「有形登録文化財」として登録されている。

旧和田豊治家住宅和館・洋館〈明治42年建設、大正14年移築〉

豊門公園西洋館(旧豊門青年学校)〈昭和初期建設〉

大正13年3月に死去した和田社長の遺志によって、同家の向島の邸宅延べ126坪が遺族より寄贈され移築したもの。

旧和田豊治家住宅和館・洋館〈明治42年建設、大正14年移築〉

建設当初は豊門青年学校と呼ばれていたが、その後社員寮として使用された。
その他、豊門公園正門・和田君遺徳碑〈大正14年建設〉や豊門公園噴水泉〈昭和初期建設〉が現存する。
和洋館・西洋館はその趣きから、ドラマ・映画のロケに多用されている。
公園内は立ち入り自由、建物内の見学は役場の了承が必要(2008年9月より約1年間は整備のため公園内全て立ち入り禁止となる)。

電子材料部 中澤郁恵

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