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歴史コラム

2016/11/04

NEW■モリムラ・ブラザーズと日米交流

モリムラ・ブラザーズは、森村豊が渡米した1876年から日米開戦による1941年の閉鎖までの約66年間、アメリカでの営業を継続したという点で、近代の日本企業の中でも稀な存在であると言えますが、その営業活動を通して、日本人社員とアメリカ人社員との交流は深まっていきました。
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2016/02/24

■森村豊の渡米③ ―「日の出商会」の一角からのスタート―

イーストマン・カレッジ卒業後の豊は、佐藤百太郎とパートナーシップを組んで、日本の輸入雑貨を販売する「日の出商会」(Japanese Hinode Store)を設立しました。この時豊は1,500ドルを出資しました。
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2016/01/15

■森村豊の渡米② ―イーストマン・カレッジにおける商業実践学習―

ニューヨークに到着した豊は、まず、福澤諭吉の紹介状を携え、ニューヨーク領事の富田鉄之助のもとを訪れました。そこで富田は、ニューヨーク州ポキプシーにある「イーストマン・カレッジ」という商業学校で語学やアメリカの商法を学ぶことを豊に勧めました。
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2015/11/13

■森村豊の渡米① ―「金ぴか」ニューヨークへ渡った森村豊―

今回から3回にわたり、創業者の森村豊さんが貿易業を志してアメリカに渡り、ニューヨークでビジネスを開始するまでの経緯についてご紹介します。これらは、「モリムラ・ブラザーズ」として開業する以前の話です。
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2015/08/27

■森村豊吉と慶應義塾

ここに「慶應義塾三田初期の塾生」という一枚の写真(明治7年4月20日撮影)がある。森村市太郎(六代目市左衛門)の弟豊吉が慶應義塾で勉学を修了し、母校の助教になった明治7年に同僚たちと撮った写真である。同僚は、後列左から加藤恒七良、雨山達也、波多野承五郎、中列左から林茂吉、箕浦勝人、小林撤三良、高木怡荘で、前列中央に座っているのが豊吉 21才である。
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2015/06/01

■港区 芝地区地域情報誌 Vol.35 「ファミリービジネスの先駆者がつむぐさらなる未来」
※この記事・写真等は、港区の許諾を得て転載しています。

オールド・ノリタケと言えば、明治から昭和の初めまで欧米に輸出されていた西洋陶磁器。デザインの芸術性や繊細な細工が高く評価されており、現在も収集家が多いことで知られています。その世界的に有名なオールド・ノリタケをはじめ、ヨーロッパの製品に劣らぬテーブルウェアを製造したのが森村組でした。
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2014/04/16

■森村組の源流「モリムラ・テーラー」

明治9年、森村組の最初の事務所は、銀座にあった「モリムラ・テーラー」の2階に設けられた。まさにここから森村組は始まったのである。しかし、どの文献を読んでもモリムラ・テーラーの実態についてはほとんど分からない。時代が下るにつれて誤って伝えられてきた事実もあるようだ。今回は、森村組の源流を探るという意味で、このモリムラ・テーラーについて少し調べてみた。
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2013/12/01

■Morimura Bros. History Trail in USA November 15, 2013

1876年に始まる創業期のニューヨーク森村組ゆかりの地を、社長を始めとする幹部が訪問しました。
今に残る当時の面影の一部を紹介します。
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2013/08/26

■戦争とモリムラ・ブラザーズ:今給黎佳菜

森村豊の渡米から65年後の1941年、日米開戦は必至なものとなっていた。ピーク時には約150人の従業員を抱えるほどに発展していた森村組のニューヨーク販売店、モリムラ・ブラザーズ(Morimura Bros.、以下「MB」)。果たして、第二次世界大戦という状況下においてどのような顛末を迎えたのか。ここでは、戦前最後のMBニューヨーク支店長を務めた水野智彦氏の回顧に即してご紹介しよう。
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戦争とモリムラ・ブラザーズ:今給黎佳菜

2013/05/16

■中日新聞 「中部財界ものがたり 時流の先へ」 陶磁器を世界へ(1)~(10)、番外編
※この記事・写真等は、中日新聞社の許諾を得て転載しています。

中部地方には、ノリタケカンパニーリミテドや日本ガイシ、日本特殊陶業など日本を代表するセラミック産業が集まっている。九州に本拠を置くTOTOも加えた企業群は森村グループと呼ばれる。その創始者は開国直後の明治初期にいち早く貿易を志した東京の商人、森村 市左衛門(いちざえもん)だ。「時流の先へ 中部財界ものがたり」第6部では、日本の陶磁器産業をけん引する森村グループの成長を描く。
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中日新聞 「中部財界ものがたり 時流の先へ」 陶磁器を世界へ

2013/04/05

■「森村組の多様な輸出品」~明治40年頃~

森村組は、陶磁器以外にも実に多様な雑貨品を多く扱っていました。例えば、箪笥、椅子、バスケット、万国旗、傘、紙ナプキンなどです。今回は『明治四拾年度 京都店見本送状』(写真:上)の中から、面白いものを二つご紹介いたします。
ひとつは、イースターグッズです。
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「森村組の多様な輸出品」~明治40年頃~

2012/12/01

■「森村商事所蔵の歴史的資料について」お茶の水女子大学院博士後期課程 今給黎 佳菜様(いまきいれ かな)

森村商事所蔵の歴史資料は全7箱に渡り、かなり良好な状態で現存しています。明治時代のものも多く存在し、初期森村組について知る上では国内唯一の一次史料と言えると思います。なかでも注目しているのは、森村組時代に主にアメリカに向けて輸出した製品の記録である「輸出送状綴込」です。
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送り状

2012/12/01

■合名会社森村銀行の設立から三菱銀行との合併

明治30年6月、森村商事株式会社の前身である「森村組」の多角経営の一環として、最初に営まれたのが合名会社森村銀行である。6代目森村市左衛門は横浜正金銀行、日本銀行の設立時から役員として関与していたので、銀行業務には深い関心を持っていた。「外国貿易とは波のある事業であるから、利潤がある時に貯蓄運用を図らねばならない、そのためには銀行業を営むのも一策」と考えたようだ。
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印影写真

2012/12/01

■森村橋という橋があることをご存じですか?

静岡県北東部に位置する駿東郡小山町に、「森村橋」という橋があるのをご存知だろうか。 森村グループ創始者、6代目森村市左衛門の功労を後世に伝えようという意思のもとにその名がつけられた橋である。 6代目市左衛門は、その全生涯をかけて日本の陶磁器業を世界に冠たるものとした。更に同氏はそのかたわら諸種の事業を起こし、あるいは援助し成功させている。
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竣工当初の橋

2012/12/01

■神奈川県の湯河原、温泉街の中心に「万葉公園」

神奈川県の湯河原、温泉街の中心地に「万葉公園」という緑地公園がある。 千歳川沿いにあるその公園は過去に「大倉公園」と呼ばれたこともあった。その名は森村グループの歴史を語るに欠かせない、大倉孫兵衛・和親に由来する。
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養生園 石碑

2012/12/01

■東急東横線「大倉山駅」にある「大倉山記念館」

横浜市港北区内、東急東横線沿線に「大倉山」という駅がある。東横線が全線開通した昭和7年に「太尾駅」から改称された駅名だ。その由来となったのは駅から程近い丘の上に建設された「大倉精神文化研究所」であり、その設立者は大倉邦彦。

六代目市左衛門と共に森村組の設立から森村グループの基盤を作った、大倉孫兵衛の孫にあたる人物である。
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記念館

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