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森村豊の渡米② ―イーストマン・カレッジにおける商業実践学習― 

今給黎佳菜

  ニューヨークに到着した豊は、まず、福澤諭吉の紹介状を携え、ニューヨーク領事の富田鉄之助のもとを訪れました。そこで富田は、ニューヨーク州ポキプシーにある「イーストマン・カレッジ」という商業学校で語学やアメリカの商法を学ぶことを豊に勧めました。このことについては、のちに市左衛門も、「弟も米国で商売をするには当時の慶應義塾の教育だけでは少し不足である。依(よ)つて少しばかり商業学校を受ける積(つもり)で米国紐育(ニューヨーク)のイーストマン商業学校に入学させた」と述懐しています1

  当時のアメリカでは、短期間で実践的な学習を提供するこのような私立のビジネス・カレッジが急増しており、1876年時点では全米ですでに計137校を数えていました。イーストマン・カレッジはその中でも知名度が高かったようです。同校には入学資格や修業期限に明確な規定はなく、随時外国人を含む誰もが入学可能で、毎月、毎週、卒業生を出すところでした。また、授業の科目は実践的な商業技術に特化しており、クラスは組織せず、個人別に受講するシステムでした。内容は段階別に分かれており、最初のセクションにおいて数学や簿記の理論を教わったあと、次のセクションでは、生徒が校内のみで通用する模擬紙幣をもって売買の実践をおこないました。そして、そこでの実績が教師に認められれば最終セクションに進めるというカリキュラムでした2

  森村豊は、このイーストマン・カレッジに1876年6月2日に入学しました 。イーストマン・カレッジでは、その後何人かのモリムラ・ブラザーズ社員が学んでいたことが、桜木孝司氏の研究によって明らかにされています(表1)。


表1 イーストマン・カレッジで学んだモリムラ・ブラザーズ社員
名前入学年入学前の学歴
森村豊1876年6月入学慶應義塾
森村明六1893年頃慶應義塾
森村開作1893年慶應義塾
大倉和親1895年慶應義塾
廣瀬実光1895年頃東京高商付属主計学校
依田耕一1912年頃慶應大学理財科
出典)桜木孝司「一九世紀後半の米国のビジネス教育」95頁
(阪田安雄編著『国際ビジネスマンの誕生』東京堂出版、2009年)
より、モリムラ・ブラザーズ関係者のみを抜粋。


  また、次のような市左衛門の記憶からも、イーストマン・カレッジの内部の様子を窺い知ることができます。

イーストマン・コレージという商業学校があるが、其処では商業に関する色々の実際の設備が施されて居て、僅か六ヶ月の間に生徒を立派な商人に仕上げて了(しま)ふ。一例を挙げると、学生は入学の当時金十圓を出して学校内だけに通用する紙幣を金千円に交換して貰ひ、それを資本として生徒同士で互に思はくをつけ、甲を日本人、乙を英国人という風に定めて、一定の物品の取引をやる。もし思はく通り期日までに物価が上れば、甲か乙かの何れかが儲け何れかが損をする。その都度例の学校紙幣を払つたり、受取つたりする。勿論儲けた所で、卒業する時には大抵の人が学校に寄附して行くさうだが中にはその利益を学費とする苦学生もある。〔中略〕斯くしてこそ、商業地理や各国税率の研究も興味があれ、日本の学校のやうに唯、本を読み、それを講義された丈けでは誰だつて趣味の起るものではない。

  豊は、ここで3ヶ月間のみ集中的に学び、1876年9月に卒業しました。ここで身に付けたアメリカ独自のビジネス感覚や商習慣は、その後モリムラ・ブラザーズを立ち上げる際に少なからず活かされたことでしょう。


  • 1 森村市左衛門述『奮闘主義』1916年、293頁
  • 2 桜木孝司「イーストマン・カレッジと日本の商業の近代化」(高千穂大学博士論文、2005年度)。
  • 3 『森村百年史』16頁。
  • 4 森村市左衛門述・井上泰岳編『独立自営』(実業之日本社、1912年)99‐100頁。

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