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森村豊の渡米① ―「金ぴか」ニューヨークへ渡った森村豊― 

今給黎佳菜

  今回から3回にわたり、創業者の森村豊さんが貿易業を志してアメリカに渡り、ニューヨークでビジネスを開始するまでの経緯についてご紹介します。これらは、「モリムラ・ブラザーズ」として開業する以前の話です。

  モリムラ・ブラザーズの創業者、森村豊(とよ)(1854‐1899年)は、次のような経緯で渡米しました。まず、15歳年の離れた豊の異母兄、森村市左衛門(1839‐1919年)は、横浜居留地での商売の経験や、福澤諭吉との交流を通して、外国の商人や商館を通してではなく、日本人が自らおこなう「直(じき)輸出」で外貨を稼ぐことの重要性を日頃から認識していました。ちょうどその頃、すでに1867(慶應3)年に渡米してニューヨークでビジネスをおこなっていた佐藤百太郎(ももたろう)という人物が、1875年に一時帰国しました。佐藤は、日本から輸出される茶、絹、陶器、漆器などの物産と、アメリカで製造された機械などの製品を交換することを目的とした自身の会社をニューヨークに設立しており、そこで働く「商業実習生」にふさわしい日本の若者を探すために帰国したのです。その頃の森村豊は、1874年に慶應義塾を卒業した後、そこで助教として勤めていましたが、福澤諭吉の勧めで、この商業実習生の一人としてアメリカへ渡ることとなったのです。

  市左衛門と豊の2人は、当時市左衛門が営んでいた「モリムラ・テーラー」という洋服仕立て屋の2階の一部を事務所として、1876(明治9)年に、貿易商社「森村組」を設立しました。

  豊のように商業実習生として集められた者は全部で5名おり、それに佐藤を加えた6名は、その時渡米した船名が「オーシャニック号」であったことから、「オーシャニック・グループ」として知られています(図1)。この時、佐藤は23才、豊は20才でありました1。一行は、1876年3月10日に横浜を発ち、サンフランシスコ経由で、同年4月10日にニューヨークに到着しました。この6名の若者たちが、まさに現代まで続く日米貿易の道を切り拓いたのです。


図1 オーシャニック・グループ(1876年撮影)写真1

注)前列中央が佐藤百太郎、後列中央が森村豊
森村商事株式会社『森村百年史』 2頁

  さて、当時のニューヨークは、のちにマーク・トウェインとチャールズ・ウォーナーの共著2が「金ぴか時代(Gilded Age)」(南北戦争終結後の1865年から1893年恐慌頃までを指す)と表したように、急速な資本主義の発展により、利益や富などの物質的な価値が追求される時代でした。表面だけは金色に輝いているが、中身は安っぽい卑金属の時代、という意味です3。熾烈な競争に勝ち抜いた企業家が巨大な富を獲得する一方で、敗者は惨めな生活に陥り、アメリカ国内の貧富の差は広がっていました。ちなみに、このような19世紀後半のアメリカに対する否定的な捉え方は、長きに亘りアメリカ国内でも根強いものでした。しかし1980年代頃から、この「金ぴか時代」がアメリカ独自の主要産業と技術力を育て、グローバルな市場における競争力を築き、現代につながるアメリカの経済的発展や国際的地位の上昇に影響をもたらした時代として、積極的な評価がなされるようになってきています4

  このような発展期の中で、当時のニューヨークは、都市化の進展と移民の大量流入により様々な人種が入り交じり、自由で活気ある雰囲気に包まれていたと想像されます。森村豊も、この移民の一人として、日本の兄の意志を背負い、ニューヨークの地でビジネスを開始したのです。


  • 1 阪田安雄『明治日米貿易事始』(東京堂出版、1996年)353頁。
  • 2 Mark Twain and Charles Dudley Warner, Gilded Age, 1873.
  • 3 紀平英作・亀井俊介『アメリカ合衆国の膨張』(中央公論社、1998年)363-365頁。
  • 4 阪田安雄編著『国際ビジネスマンの誕生』(東京堂出版、2009年)4-5頁。

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